嵐山町歴史探訪 縁切橋2014/11/16②
2014年 11月 20日
征夷大将軍坂上田村麻呂が軍勢を引き連れてこの地に滞在し、岩殿の悪龍退治の
準備をしていると、そこへ将軍の奥方が京都から心配のあまり尋ねて来たといいます。
(事実とは思えない)
しかし田村麻呂は「国の大命を受けて出陣しているのに追い来るとは何事だ、今より縁
を切る、早々立ち去れ」と宣言したといいます。現代の女性が聞いたらひんしゅくを買い
そうな話ですが、国の公務が優先することをアピールする為の逸話だと思います。
現在は、川らしい川が存在しない。
縁切橋から笛吹峠方面を望む
縁切橋から笛吹峠方面に少し行った所に田村麻呂を祭る日吉神社があり、その入口
には石碑が建つ。このあたり一帯の地名「将軍沢」は、田村麻呂に由来する。